4 学生主事室の対応
4.1 学生の安否確認
クラス担任と学生主事室が中心となり、1月17日の震災直後から学生の安否確認を行った。1月18日の午後には「神戸高専の学生は学校まで連絡して下さい」という内容の放送をラジオで流した。学校に連絡があった学生には友達の情報も尋ねた。中には自発的にクラスの学生の安否を確認して連絡してくれる学生もあった。避難所への電話、学生の出身中学への電話、保護者の勤務先への電話等により確認をとったこともあった。電話で連絡がとれない場合は、直接家まで行って確認したこともあった。その結果、被害の大きかった地域(西区、北区を除く神戸市、芦屋市、西宮市、伊丹市、尼崎市、宝塚市、川西市)の学生については、1月26日午前で全員無事が確認された。
4.2 通学路の安全調査
授業再開の時期を検討するための資料として、学生の利用交通機関の調査を行った。交通が寸断されている東側からの通学経路を利用交通機関別に分類し、通学方法台帳を元にそれぞれの人数を調べた。
- 三宮以東の阪急沿線 141名
- 三宮以東の阪神沿線 69名
- 三宮以東のJR沿線 35名
- 神戸電鉄沿線 112名 (うち鈴蘭台以遠91名)
- 新長田以東の地下鉄沿線 127名
その結果、三宮以東が245名、鈴蘭台以遠が91名、あわせて336名 (全校学生の29%) の学生がとくに通学困難であることがわかった。
また、代替交通機関の状況をつかむために、各科の教員で分担して次の6コースを調査した。
- 三宮以東、阪急沿線から学校まで
- 三宮以東、阪神沿線から学校まで
- 三宮以東、JR沿線から学校まで
- 新長田、板宿周辺
- 押部谷-西神中央バス
- 鈴蘭台-湊川バス
調査項目は代替バスの所要時間、込み具合、途中乗車の様子、その他にも様々な情報の収集に努めてもらった。調査の結果、三宮以東は片道5時間以上かかり、バスの待ち時間も1時間から2時間程度はかかることが分かった。また、三宮-神戸間の徒歩について比較的安全なルートがあることも分かった。(参考資料4-1)
4.3 宿泊施設の確保
授業再開にともない、被災した学生、通学困難な学生を対象として、校内合宿施設に宿泊させることを検討した。校内合宿施設は学生会館の3階で、4室(42畳、30畳、18畳、15畳)ある。さらに同窓会(六神会)室、1階の会議室に武道場から畳を持ち込むことにより、学生約70人分と教員用の宿泊スペースが確保できる。
期間は期末試験終了までを考えて、2月7日から3月9日 (ただし、2月25日(土)、2月26日(日)は入試のため除く) とした。入所希望を募ったところ約70人申し込んだが、辞退者があり、最終的な利用者は1年10名 (女子1名)、2年8名 (女子1名)、3年12名、4年15名 (女子1名)、5年8名の合計53名であった。
食事は事前申し込みの食券制とし、朝食と夕食を食堂にお願いした。食費は被災学生分は学校負担、通学困難学生分は本人負担とした。寝具はレンタルで、経費は同窓会 (六神会) に負担していただいた。学生が勉強する場を確保するため、図書館も通常の開館時間を延長して午後9時まで開館した。
合宿施設のスケジュールは資料4-2のとおりである。夜間、休日の付き添い教員は2名ずつとし、各科にお願いした。そのため付き添い教員マニュアルを作成した。(参考資料4-3)
当初は水の供給が安定せず、断水が心配されたが、無事に乗り切ることができた。また、入所希望の学生が多かった場合、教職員の自宅や近隣の民家へのホームステイも検討したが実施には至らなかった。
4.4 担任の取り組み
学生の安否確認、通学路の調査および学内宿泊施設の受け入れ体勢の確立を経て、1月30日に全校学生を登校させることおよび1月31日から授業を再開することが決定された。1月30日には、翌日からの授業に向けて、担任が個々の学生に対して以下の項目の調査を行った。
- 通学手段と所要時間
- 現在居住している所
- 自 宅:住所、電話番号
- 避難所:名称 (住所)、電話番号
- その他:名称 (住所)、電話番号
- 被災状況 (家屋、ライフライン、身体面、家族の状況等)
- その他 (相談事項、クラス友人の様子等)
これらは、その後の学生指導の基本台帳として担任の手元に保管され、活用された。また当日、担任は、被災学生や通学困難な学生に、学校での宿泊を勧めるとともに、通学困難であっても、事情により家からの通学を希望している学生に、週1回の登校でも可とすることや、登校時に1週間分の授業内容の説明が各授業担当者からあることを伝達した。
4.5 メンタルケア
幸いにも極端に落ち込んでいる学生は少なく、外部カウンセラーに依頼するような事例はなかったが、勉学や将来に対する不安等、担任を中心に個々の学生の相談にのり、懇切丁寧な指導が行われた。
4.6 平成7年度の準備
平成7年度も6年度と同様な状況を想定し引き続き学生の受け入れ体勢について考慮していたが、仮設住宅の建設、ライフラインの復旧および交通網の整備復旧が意外とスムーズに進んだため、平成7年4月からは平常時に近い校内体制に戻すことができた。
4.7 体育科の対応
4.7.1 はじめに
体育施設が倒壊したり、避難所として提供を余儀なくされた神戸市の東部、中央部の学校に比べれば、本校の体育施設の被害は小さく、震災直後も体育館と武道場以外は使用できる状態であった。6月に入って、グランドの南側3分の1に仮設住宅が建設されたため、これからの体育授業やクラブ活動に多少の支障はあるものの、工夫し譲り合って使用していく必要がある。以下、体育施設の被災状況、震災後の対応、今後の対策などについてまとめた。
4.7.2 体育施設の被災状況
本校の体育施設のうち、今回の震災で最も大きい被害は、体育館天井板剥離であった。48枚の天井板のうち2枚がぶら下がり、他もかなりずれていた。天井中央部の明かり取りの真下には、白い塗料の粉が床全体に落ちていた。武道場では天井の空気孔全体がずれ、体育館2階のギャラリーの床とプールサイドには細かいクラックが無数に生じていた。また、プール西北の外壁の基礎部分が一部脱落、プール北側の排水溝がずれて、溝ぶたが合わなくなった。
これらの被害のうち、直接授業に影響があったのは、体育館が立ち入り禁止になったことである。体育館が使えないということは、冬期の体育授業にとって大きな痛手であった。さらに、1月22日、県外からの復旧救援隊のために武道場を宿舎として提供することが決まり、ここも当分使用できないことになった。
4.7.3 授業の再開
1月30日(月)、震災後初めての登校日。各クラスで被害状況の調査があったが、クラブでも部員の安否確認や情報交換を行った。
1月31日、授業の再開日は時間帯 (1,2限目) によってはクラスの3分の1の学生が登校できなかった。
授業で使える体育施設は小体育室、トレーニングルーム、グランド、テニスコートの4か所。1、2年生は1クラスがグランドでサッカー、ラグビーを、もう1クラスは小体育室での卓球とトレーニングルームでのウェイトトレーニングを行った。3、4、5年生の授業は、同一時間に3クラスが種目選択を行うため、場所の確保に頭を痛めた。
体育館を使用するバスケットボールとバドミントンを選択しているグループは卓球とウェイトトレーニングに分かれて授業を続けることにした。幸いなことにこの期間雨や雪の日が少なく、グランドでの授業を中止しなければならないほどの悪天候はなかった。風邪を引いたり怪我をしないようにという配慮をしたが、被災した学生が、震災を乗り越えて元気一杯に動き回るのを見て、むしろわれわれの方が勇気づけられ、短縮の60分間が一層短く感じられるような毎日であった。
授業再開時には、体育館更衣室のシャワーの一部が使えるようになったため、汗をかいたり、長い間入浴できなかった学生に利用してもらった。4月になってもガスが復旧しなかった地域から通学する学生には引き続き利用してもらった。
4.7.4 被災学生に対する服装の援助
授業開始から1週間、全クラスの授業が一回りした結果、何人かの学生がトレーニングウエア、運動靴などを自宅の倒壊や火災によって失っていることがわかった。これらの学生に対しては、学生会と運動具店の協力によって援助することにした。
4年生、5年生のトレーニングウエアは3年生以下と異なり、在庫がないため、卒業生が残していったものの中からサイズの合うものを選んで洗濯をし、再利用することになった。
平成7年度に入って水泳の授業が始まった6月、やはり震災により水着をなくしている学生が何人かいたが、再度学生会の協力により間に合わせることができた。
4.7.5 クラブ活動の再開と合同練習
3月末までは、通常の授業時間が確保できていない (30分授業) 段階のため、各クラブは活動を自粛した。4月に入って各クラブは待ちかねたように一斉に練習を開始した。震災のために体育施設が破損したり、被災者のための避難所となった高校から合同練習や施設借用の申し込みがあった。
市立神港高校、村野工業高校のラグビー部、長田工業高校のサッカー部、市立神港高校の水泳部が本校の施設で練習をした。
4.7.6 外部からの利用
5月になって、グランドの液状化のため、練習ができなくなった神戸製鋼ラグビー部が、本校クラブの練習終了後の午後6時から2時間グランドを使用した。市内の練習場を失った神戸市剣道協会は、4月から7月末までの毎週火・金曜日の夜、本校武道場と体育館で練習会を開いた。8月末には兵庫県剣道連盟の日本剣道形講習会が開催され、9月には昇段審査が行われた。
また、予定していた会場が被災のために使えなくなった神戸市中学校バスケットボール競技大会など、本校へ会場を変更することになった競技会も多い。今後もバスケットボール、バレーボール、剣道など各種の大会や練習会が本校で開催される予定である。
市民のスポーツの場として20数年間親しまれてきた本校の学校施設開放(グランド)は、4月9日から開始された。待ちかねたように軟式野球、サッカーの市民グループの申し込みがあり、仮設住宅が建設される6月まで利用された。
4.7.7 仮設住宅と体育活動
6月に入って、本校グランドの南約3分の1に被災者のための仮設住宅146戸の建設が始まった。野球の練習場とサッカーのミニ・コートがすっぽり入る部分である。グランドを使用するクラブが集まり、使える部分をどう利用していくかを話し合った結果、水曜日と土曜日の午前中に野球部が全面を使用し、残った日をラグビー部、サッカー部、陸上競技部、野球部が割り振りをして使うことになった。
また、応急仮設住宅が建設されたことにより、グランドを使用しているクラブは、総合運動公園内の施設を抽選によって使用することもできるようになった。
7月13、14日、高専祭の一環である「球技大会」が開催された。仮設住宅の建設中で、従来通りソフトボール会場を4面取ることはできなくなった。そこで競技場が小さく、ボールが住宅の中へ飛び込まない、しかも運動量が多く、ソフトボールの面白さもあるということから、ゴムボールによるキック・ベースボールに変更した。
9月から、十分の広さではないものの練習程度という条件つきでグランドの市民開放も始まったが、今後のグランドでの体育授業については、現在検討中である。
なお、平成8年1月3日に本校グランドで予定されていた全国高等専門学校ラグビーフットボール大会の開会式と1回戦は、仮設住宅への影響を考えて、4日に神戸総合運動公園陸上競技場で行われることになり、本校は練習会場となった。
4.7.8 全国からの支援
今回の大震災に際し、全国の多くの高専のクラブから各クラブ宛に安否の問い合わせ、お見舞い、激励の電話があり、義援金も届けられた。震災直後の混乱の中で全国の仲間からの暖かい支援を知った時、どんなに心強く感じ、立ち上がる勇気がわいてきたことか……感謝の気持ちで一杯である。
義援金を寄せてくださった皆様 (五十音順):
- 一ノ関高専バスケットボール部
- 大阪府立高専アーチェリー部
- 小山高専卓球部
- 岐阜高専バスケットボール部
- 神戸高専硬式野球部OB会
- 神戸高専バスケットボール部OB会
- 鶴岡高専水泳部
- 東京都立航空高専バスケットボール部
- 東京都立高専バスケットボール部
- 奈良高専ソフトテニス部
- 兵庫県高等学校野球連盟
- 松江高専バスケットボール部
- 和歌山高専弓道部
また、本校が主管であった第30回全国高等専門学校体育大会については、開催できない旨を近畿高専専体協に連絡し承諾して頂いた。突然の変更についてご尽力いただいた関係の方々、とくに神戸で開催する予定であった陸上競技、バスケットボール、卓球、剣道の4種目を快くお引き受けくださった群馬高専、東京都立航空高専、小山高専、育英高専の皆様に心からお礼を申し上げたい。
4.7.9 おわりに
体育授業を通して感じたのは、多くの学生が、仲間と話し合い、いっしょに体を動かすことによって被災の辛さを忘れ、心の傷を癒していたのではないだろうか、ということである。体を動かすことが心のケアになっていたのではないかと思われ、この経験をこれからの体育活動に活かしていきたいと考えている。
(以上4.7節 土井春夫、古田菊夫、岸本三男、中川一穂、小森田敏)
4.8 まとめ
本校のグランドに仮設住宅が建設されて以来、本校では、10月の高専祭に格安の値段で朝市を開き、また、模擬店での引換券を配布するなど、住民との交流を行ってきた。また、12月26日には、高専南仮設ふれあいセンター前広場において、住民、近所の自治会、教職員、学生、後援会ら総勢300名によるふれあい餅つき大会を予定している。この餅つき大会は、教職員や後援会のカンパによるものであり、また、杵・臼5セットのうち2セットは、大阪府立高専のご厚意によりお借りしたものであることを記して謝意を表します。
震災1周年を迎える平成8年1月17日には、全校集会を開き、震災で犠牲になられた方々のご冥福をお祈りし黙祷を捧げるほか、避難訓練を行う予定である。
(学生主事 辻井 弘和、学生主事補佐 中辻 武)